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2017/11
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活動開始4ヶ月以降
先月、中間報告会なるものがあり、今までの活動を振り返る機会となった。
思えば、このブログには余分なことばかり書かれ、肝心の協力隊としての活動についてが抜けている。
と、今になって気付き書くことにした。


4ヶ月目以降、少しずつ家庭訪問し、そこで出てきた問題対応のために動くようになった。
内容はほぼ貧困問題。

この問題へのエクアドルにおける国の対応策は2つ。

1つは日本で言う生活保護のようなもの。月額35ドル。(最近までは30ドルだった)
対象は65歳以上の高齢者、障害を持つ人、シングルマザー。
その他のケースは応相談。
エクアドルの物価は私の勝手な推測で、日本の4分の1~5分の1。
そう考えると月13000~15000円の支給額は無理があるのではないかと思ってしまう。
でも、そう思ったところで私には何もできない。

もうひとつは食糧支給。
対象者は同上。
ただし、都市に住む人はそれだけで対象から外される。
よって私の活動するアトゥクチョ地区は非常に貧困層の多い地区でありながら、首都というだけで外されている。

アトゥクチョ地区は、地方からの出稼ぎの方が土地を侵略し住み着いてしまったところなので、
国や行政の援助が入りにくい。
ただでさえ、エクアドル内の福祉が十分整備されていないのだから、後回しになるのも仕方ないのかもしれない。

また、アトゥクチョ地区は貧困、家庭内暴力、シングルマザー、障害、薬物など社会問題が非常に多い地区なのに、ソーシャルワーカーがいない。

それゆえ私が協力隊員として派遣されているわけだが、残念ながら力になれていないのが現実。

例えば、言葉の面。
最近になってようやく同僚から「省庁に行って情報収集してきてよい」とお許しがでた。
今までは語学力が低すぎて、「ただでさえ忙しい省庁が、まともに話せない外国人の話に耳を傾けてくれる訳がない」ととめられていたのだ。
1月に入ってからようやく、貧困問題に打つ手はないのかの情報収集のため省庁めぐりを始めたのだが、それでもまだまだ言葉が拙いのを痛感する。でも動かないと何も変わらないので理解できるまで何回も足繁く通っている。役所にしたら迷惑きわまりないであろう。

また、アトゥクチョの人々と話すときにも、「収入のこと」「家族関係」「家庭内暴力」等々デリケートなテーマがあるときに、上手く聞き出すことができない。
もうひとつ、「ほめる」、「受け止める」等の表現。ほめるなんて、傲慢なことできる立場ではないけれど、相手が
がんばっているところを賞賛したい。

これらの問題は悩んだところで全く解決に繋がらないので、お金を払ってスペイン語の勉強を開始することにした。
何の手も打たないで悶々とするよりは、まだ発展的だと思う。


続いて、外国人の壁。
家を訪問するということは、相手からしたら自分のテリトリーに知らない人が入ってくるという非常にストレスの高いできごとだ。それが外国人ならなおびっくりする。
でもこればっかりは仕方がない。
だから、訪問が定着するまで、相手が私を受け入れてくれるまで思っているよりも時間がかかるが辛抱強く。

それから、役所関係。
私はエクアドルで何の資格も持っていない扱いになる。
日本では社会福祉士、精神保健福祉士の資格を持っていることになっていたが、ここでは無資格。
よって、書類等記載してもそれは正規資料として成り立たない。
だから、エクアドル人のソーシャルワーカーにサインしてもらう、もしくは省庁に直接お願いに行くしかない。

でも、私が必死で書いた書類にあとはエクアドル人のソーシャルワーカーのサインを入れてもらうだけ、という状態で手渡したが最後、書類は行方不明に。
省庁にお願いに行っても、なかなか重い腰をあげてくれない。

情報だけでもくれないかと話しても、外国人でましてやボランティアなのでしっかり教えてもらえないことも多い。
パンフレットを渡され、インターネットで自分でホームページを見てといわれ開けば、エクアドル人IDコードがないと入れないことも。

でも、人によって対応がちがうのもこの国のよいところで、たまに親切な人は教えてくれたりもする。
こういう人を狙うしかない。



上記から私はこの地区にはエクアドル人のソーシャルワーカーが必要だと考えるようになった。
ひとつは社会資源に繋げるために。
言葉ができて、エクアドル内でソーシャルワーカーのライセンスを持った人が動いたほうが早いし、確実に決まっている。

もうひとつは、私たちボランティアは期限が来ると国に帰らないといけない。
せっかく訪問に慣れてくれた家族とも、人が変われば一からやり直しになるし、たとえ記録を残したところで人間の持つ細かな情報は引継ぎが難しい。


エクアドル人のソーシャルワーカーがなんらかの形でこの地区に来てくれることを祈りながら、じゃあ私は何をするのかというと、残りの期間、私の力でできることは大きく2つ。
1つは実態調査。
前述の通り行政の手が届きにくいこの地区。貧困世帯、障害者数、福祉サービスの有無、社会的問題の種類、未就学児童、どのようなサービスが必要か等々把握できていない。
また、この地区には教会の行う無料の食事サービス、衣類の供給等もあるらしいが把握している人はいない。
さらにこのような情報を得られる人はいくつも利用しているが、情報にさえたどり着けない人もおり、サービス利用に大きな偏りがある。
同僚達も非常に気になっている点だそうだが、日常業務で手が届かないそう。
実態調査と福祉サービス情報の整理。空き時間の多いボランティアならではできる作業であろう、と思う。
客観的データを残すことで、この先アトゥクチョ地区に福祉サービス等を申請する際、行政へ訴えやすいのではないかとも思う。

2つめは地域住民の繋がりの場を提供。
近所付き合いもなく、家族で、もしくはシングルマザーのお母さん一人で問題を抱え、辛い思いをしている人々の存在を知ったため、私の職場セントロメディコに人が集うようになればよいと思う。
私もエクアドルの制度や、アトゥクチョのサービスを調べ、整理していく予定だが、お母さん達や住民のみなさんが持つ情報は新鮮で、有意義なものが多い。
集まる場さえあれば、まちがいなく会話が弾むのがエクアドルの人々の特徴。
私は日本の文化紹介(折り紙、紙芝居、箸の使い方etc)を媒介に子供達を集め、子供が遊んでいる間お母さん達が井戸端会議で近所の繋がりを深め、情報交換をしてくれればよいと思う。


以上、半年分くらいの活動内容をひといきに書こうとずっこいことをしたので雑になりました。すみません。
青年海外協力隊特にソーシャルワーカーに興味をお持ちの方、ご質問があれば直接メールください。
一期一会
両親が日本に帰った11月半ばすぐから社会福祉部会の活動が始まった。

両親もてなし準備と部会準備。この2つはほぼ同時期に進めなくてはならなかったため、
10月初旬から11月半ばまで普段なら22時就寝の生活が奪われ、
午前0時までパソコンと、さらにはスペイン語と向かい合わざるをえなかった。

さてさて、この社会福祉部会の活動だが構成員はエクアドルにいる福祉系隊員5名から成る。
内容は日本の団体が制作した「障害」をテーマにした映画(スペイン語字幕)をエクアドル各地で上映して周るというもの。
この映画と同時にアンケートを実施し、エクアドルの方の障害に対する考え方を知ることや、日本の障害を持つ方々を取り巻く状況を観てもらう事で大いに異なるエクアドルの状況に関心を持ってもらうこと、またまだまだこの分野は変わる余地があることを知ってもらうことなどがねらい。

文章が続かないので、写真を。


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私の職場でも上映。(会場は近くの公民館的なものを借りて)

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私の同僚達。この会にあわせて、来場者に配る棒つきキャンディとポップコーンを寄付してくれた。ありがとう!

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この日はラッキーなことに金持ちの紳士におごられ焼肉。(エア焼き肉ではなく本物!)
おごられ&焼肉で2倍に美味しい!

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大学の日本語学科学生の祭り会場で開催した際、
ナルト(アニメ?マンガ?)をこよなく愛する「ナルト3兄弟」に遭遇!

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こちらは国立大学看護学科で看護師のたまごさん達に向け上映。

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山の上のインディヘナの学校ではこども達に上映。

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連れて帰りたくなるくらいかわいい。

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素敵な風景に遭遇。

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こちらは変わって、見渡す限りのバナナ農園。
日本に「田辺バナナ」(?)で出荷しておられます。見かけたら買ってね!しかも大人買い!

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より幅広い対象に上映を!ということで田辺農園の皆さんにも上映。

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次の上映地は海側。
ここで食べるセビッチェはサイコー!

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久々に家に帰れました。
記念にカレー部長よりいただいた高級カレーを開封。感謝の気持ちを込めて証拠写真。
「私も忘年カレー大会@マドラスに行きたい。」

ちなみにまだ終わったわけではなく、13日からまた1週間ほどエクアドルを南下してきます。
まだまだ続く一期一会の旅。

関係ないけどむかし私が大好きだった「出会いのストーリー」という番組?CM?で
「出逢えたもの達よりも、擦れ違うもの達のほうが、遥かに多いんだよ。」
って言ってました。
世界中にはこんなにたくさん人間がいるのに、一生で出逢い、知り合いと呼べる人は本当にごくわずか。
そう考えると大好きな人々も、そうでない人々もいるけども「出会った」以上私にとって何らかの意味があるのでしょうなー、と思えるようになりました。
余談でした。


今回このプロジェクトを行うにあたり、多くのJICA関係者の方々にご協力いただきました。
特に、上映先を提供していただいただけでなく、私たち(むさ苦しい)部会員に寝床と美味しいゴハンを下さったシニアボランティアの皆様には本当に感謝しています。

ありがとうございました!
一番嬉しい日
仕事の事は状況や気持ちの整理をした上で記録したいから、1ヶ月単位で書こうと思っていたのだけど、今日はすごく嬉しかったので書く。
きっとこれから先、1年7ヶ月の支えになると思うから。



勤務2ヶ月経過で書いた24歳のお母さんが今日診療所に来てくれた。
http://8430saorin.blog53.fc2.com/blog-entry-30.html
このお母さんとの初めての出会いは、私の初めての訪問。
この訪問は大失敗で、その後も彼女達が心配だったけど、またお互いに嫌な思いをするんじゃないか、とか、彼女の話を聴く語学力に自信がなくて、来てくれるのをただ待っていた。


そして今日、仕事も終わり診療所を出ようとした16時、彼女と夫、2人の小さな娘がやってきた。
どうやら彼女が飼い犬に噛まれたらしい。
私と話すことが目的ではなかった。
けれども、訪問時の印象が悪かっただけに私のこともしっかり覚えていてくれた。

せっかくだから、ちょっとお話が聞きたいとお願いすると応じてくれた。
犬に噛まれた話、遠くに住んでいる家族の話、17歳で結婚して一生懸命家事をしているのに夫には「きちんとやれ。」と暴力を振るわれるという話、夫が鍵をかけて仕事に出かけるので家からは出られないと言う話。

彼女のしゃべり方は独特で、話もぽんぽん飛んでしまうのでわからない部分もいっぱいあったけど、話してくれること自体が嬉しかった。
前回は「自分の家に変な外国人が突然入って来た」という思いからか、こちらへの返答は無く、まったく表情を崩さなかったが、今回は私の持ち場での面接と言うこともあり、だいぶ顔が柔らかかった。

彼女は犬に噛まれた傷口が痛み、歩くのも、起き上がるのも大変で、今は家事が全くできないと話すので、ここぞとばかりに「傷が治るまで家事や育児のお手伝いをしたい。」と話すと、「あなたがそうしたいのなら。」と返答。


その後、夫と2人で話をすると、彼女は知的障害と精神疾患から仕事や家事ができず、家のなかもぐちゃぐちゃ、結局仕事帰りの自分が行っている、と。
また、結婚前から彼女を知っているが何度働きに出ても他の人と同じような仕事ができないために働いても働いても給料を支払ってもらっていなかったこと。
ここアトゥクチョ地区は治安が悪く、泥棒も多いため、自分が仕事に出ている間に妻と2人の子供に何かあったらと思うと鍵をかけて出るより他なかったということ。
さらには、彼女の家族は彼女と縁を切っているので身寄りがいないとも話す。

夫自身、しっかりしているとは言い難く、程度の差こそあれ妻と同じような大変さを抱えているのではないか、と思う。

夫にも、「家を訪問し彼女の手伝いをしたい。」と申し出ると、大家ともめて家を替わってしまったから今から新しい家に案内すると言ってくれた。

だんだん暗くなってきたので帰り道の心配もあったけど、これを逃したら次に彼女とコンタクトを取るのは非常に難しいだろうなあと思い、お邪魔した。

道案内する夫や、診療所に戻ったときに見た彼女の姿を見て思ったことは、2人とも本当に子供を大切にしている。なんとか守ろうとしているということだった。

それは、他者の目には「きちんとできていない。」と映るものかもしれないけれど、彼らは決して手を抜いているわけでも、粗末に扱っているわけでもない。一生懸命やってるのだ。
そんな彼らを見て、子供や、彼らの生活の中でなんらかの困った点(低栄養状態、不衛生)があればそれだけお手伝いして、彼らの生活をそのまま大切にしてあげたいなあと思った。

日本だったら彼らをサポートする資源があるけど、エクアドルでは聞いたことがない。(知らないだけで、実際はあるかもしれない。)
だから、なんらかの見守り体制ができるまでは私達診療所スタッフで、見守って行きたいと思う。

彼女の家もわかったところで診療所に帰って、「じゃあ、あさってね!」というと、彼女は「あさってね!」と笑った。
あー、笑ってる!!

時間も遅くなってきたので、超マッハでバス停まで走り、バスに乗った。

ある人との関係の中で、失敗やお互いに嫌な思いをして何かを失ったとしても、同じ人との関わりの中で回復できることはありがたいことで、何倍も嬉しいことだと思った。

エクアドルに来て、今日の出来事が1番嬉しい。
ソーシャルワーカーという仕事をしてきた中でも、上位に入るだろう。

そんなシアワセを噛み締めながらバスの外を見ると、彼女と上の子供が追いかけてくる。そして笑いながらこちらに手を振った。犬に噛まれて、痛くて歩けないって言っていたのに!

左目から2粒だけ涙が出たが、バスの中(公共の場)で、時間も遅かったのでこんなところで泣いてはナメられる、かつあげされると思ってすぐに気持ちを切り替えた。

エクアドルに来て最初の「泣き」がこんなに嬉しい涙で良かった。

来てくれて、ありがとう。
話してくれてほんとうに、ありがとう。
勤務3ヶ月経過
注)今回も真面目で暗い話です。


緊急時以外の訪問を除き、まずは診療所での相談業務を行いたいと申し出たものの、ここアトゥクチョ地区にも診療所にもソーシャルワーカーがいたことがないため、まずは宣伝。

毎週水曜日に看護助手さんたちが待合室で患者さん向けに交代で行っている簡単な講義に少し時間をもらい、宣伝。「ああ、中国人が一生懸命スピーチしているぞ。」と内容そっちのけで凝視される。
また、診療所内に「ソーシャルワーカーおいています。」という張り紙を掲示した。

初めて講義で宣伝したまさにその日、4人の子供を連れたお母さんが来院。
聞けば1番下の子供の様子がおかしいから、急いで仕事から帰ってきたとの事。
診察を受けるもすでに、2才8ヶ月の子供は亡くなっていた。

彼女は離婚し、女手1つで子供4人を育てている。長時間勤務の割りに合わない低収入で常に貧困問題を抱えていたそう。昨日、子供の様子がおかしいことにも気づいていたが、仕事を休むわけにはいかなかったようだ。
母親が仕事に出ている間、3才、4才、6才の幼い兄弟達だけで弟の異変が理解できず困惑していたようで、亡くなった今も「死」を理解せず、揺り起こそうとしている。

警察の到着を待つ間、診療所には野次馬が集まり、今子供を亡くしたお母さんの横で「お母さんの責任よ!」と心ないことを言う。

野次馬に何を言っても状況は変わらないので、お母さんを他の場所へ連れて行く。結局、亡くなった息子さんを寝かせているベッド横しかなかった。
私は彼女にコトバをかけたかった。それで何か状況が変わるとは全く思わない。でもかけたかった。
しかし適当なスペイン語のコトバが思いつかず、ただ横に座るしかできなかった。

警察が到着し、一家が去る間際、同僚がお母さんに声をかける。
「彼女はソーシャルワーカーだから、何でも言いなさい。」
「それが彼女のスペイン語の練習になるんだから。」

???

なんて事を言うんだろう!と思った。私のスペイン語の練習のため?子供を亡くしたばかりのお母さんに向かって?

この振り方もショックだったが、これから先このような生死に関わる問題に直面していくかと思うと、逃げ出したくなった。こわい。無理。私じゃ無理。私にできることはない。

日本でこのような相談を受けたら亡くなってしまった方にはどうしようもできないので、他に対応できる問題を確認し、サポートしていくだろう。でもここでは、何もできない。今の私には的確に状況を把握する事も、サポートする術もない。

しばらくは、同僚や医師から相談を回されるたび怖かった。どんな問題が来るんだろうか?私にはできない、とできれば断りたかった。

その後も気がつくと、あの一家のことを考えていて、
彼女にはあと3人の小さな子供がいるので同じようなことにならないようにしなくてはならない。
「私には無理。」と思ったところで、まだ私はエクアドル内でどのようなサポートがあるのかを把握していないのだから、それらをきちんと把握もせず、無理と言うのはおかしな話だ。
と、思えるようになったのはだいぶ後の話。

その後も、少しずつ相談業務を行うようになったが、初めての面接はひどいもの。
基本情報を取るにも、名前、住所などの綴りがわからず何度も聞き返すところから始まり、患者さんの主訴がわからないこともしばしば。

たぶん文法的にも習ったものとは違う上、「あれ」「それ」などのコトバが多く、何のこと?と話が進まない。お恥ずかしながら「あなたの問題はなんでしょう?」と聞いてしまうこともあった。
しかし当然の事ながら、患者さんたちも医師や看護助手に斡旋されただけで、自分の問題を把握していないことが多く私もしんどいが、せっかく相談に来てくれた彼らも相当しんどかっただろうと思う。

相談のほとんどは経済問題。
こちらでの金銭的な援助は国が行う金券(?)。月30ドル(約3000円)。
日本との物価の違いはあれど、この30ドルで一月生活するのは本当に厳しい。電気、水道が各5ドルほど。食べ物は安いものもあるとは言え、1日3食を1ドル弱でまかなうのは難しい。
でも、これしかない。

7月中旬にもなると、怖くても嫌でも相談者は来る、対応するしかない、と思えるようになってきた。

まずは、国の政策、金券について調べようと思い、社会福祉省に聞き込みに行きます、と宣言したところ、「あなたの語学力じゃまだ無理。」「何の情報もくれない。」と止められた。
ショック。
わからなくても、何回でも通おうと思っていたのに!でも、時間がないから対応してくれないというのは本当らしい。

仕方がないので、よその診療所にいるソーシャルワーカー フロールを訪ねることに。
ここエクアドルではソーシャルワーカーに結構な権限があるらしく、彼らが必要と判断すればあとは社会福祉省の手続きを待てば、ほとんどの場合金券が発行されるらしい。
日本で言う、病院のソーシャルワーカー、民生委員、生活保護担当も兼ねているイメージ。

これだけ権限があるので、外国人である私は彼らと同じような仕事ができるわけはなく、「あなたが受けた相談は私に回しなさい。」とフロールに言われてしまった。

相談を回すだけなら、誰でもできる。
さてさて、私はここエクアドルでいったい何ができるのでしょう。
何をゴールとして動いたらいいのでしょう。
と、改めて悩み始めた3ヶ月目でした。
アトゥクチョ地区(写真)
私の活動先であるアトゥクチョ地区の写真集。

あまり治安が良くないので、写真を撮る機会が少ないのだが、
ある日工事のおっちゃんが、「まあ乗れや。」とブルドーザー(?)に乗せてくれたので
その安全が保障された環境で撮影。
なぜブルドーザーに乗ることになったのかは今もってよくわからない。

エクアドルに来て、よくわからないことが増えた。
でも2年しかないんだから理由なんてなくてもいいや、
と思いながら行動してしまうことも増えた。


さてさて前置きが長くなったが、写真を。


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首都からバスに揺られて40分。急勾配に建物が連なる。

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標高が3200~3400メートルあるといううわさ。
飛行機が下のほうを飛んでいるので、だいぶ高いところにいるんだろうなあ、とは思う。

標高の高さに関係して、昼間も寒い。
常にとっくりセーター、フリースベスト、フリースの上着、スパッツを装着して
仕事に臨んでいる。


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野良犬とゴミが多くて、


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落書きも多い。


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ブルドーザーのおっちゃん。


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人生で初めてブルドーザーに乗った。


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急勾配に未舗装なので、雨の日やお年よりは大変。


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どれもこれも、人が生活している家。
たまに雹が降るので雨漏りしている家が多い。
ちなみに私の職場も雨漏りしているが、お金がないので直せない。


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学校の横を通れば、子供が追いかけてくる。
プロフィール

84(はっしー)

Author:84(はっしー)
南米エクアドルに青年海外協力隊として2年間滞在。2011年3月22日に日本に戻り、現在は逆カルチャーショックに打ちのめされる日々。

趣味はエジプト。
好きな食べ物はカレーと鮭のおにぎり、そしてキューピーコーワゴールドアルファ。

どうぞよろしくねー!

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